なぜ生きるのか

こうゆうの考えるのすごい好きで中学の頃から沢山考えた。何かをするにも根底を気にしちゃうタイプなんだと思う。で、自分の中で二つの結論に至った。


一つは、自分の幸せのため。
幸せの価値観ってのは人それぞれだと思う。結婚して子供の成長を見守るとか、おいしいもの食べるとか、その人が満足することは最高に生きてるって感じると思う。幸せを感じるためにはどうしたらいいか?・・・それはつまり、『愉しい』ってことだ。どれだけ楽しめるかで人生の幸福度は大きく変わる。

じゃあ、愉しいってなんだ。家族といること。友人と遊ぶこと。睡眠をとること。何事もおそらく過度なものは辛く感じてしまうはずだろう。楽しむってことは適度な刺激を求めてる。今感じている『静』じゃなく『動』だ。それをコントロールして最高の場所にもっていく。それが「生きること」に繋がると思う。


もう一つは影響を与えるため。
なんでもいい。人に。環境に。生まれてきた時点で既に親と環境に影響を与えている。それは金銭面であったり生活面であったり、両親の人生の軸に大きく入り込んでいる。環境面でもそう、酸素を吸うし排泄物も出る。

存在する時点で少なからず影響を及ぼしてるってことだ。じゃあその影響をどれだけ及ぼせるかってのが「生きる意味」だ。仕事をする、友人と遊ぶ、恋をする。これだけでも『あなた』という人間性が周りの人に与えている影響は大きい。受け取った周りの人の感性にも少なからず影響しているかもしれない。些細な一言がその人の人生を変えるかもしれない。それだけでも『生きた意味』は十分に存在する。そして、偉大な人ほど人類に与えた影響は大きい。

だから、存在しなきゃいいものなんてない。全てに意味がある。
バタフライエフェクトじゃないけど、自分の知らないところで影響の連鎖を与えていることだってある。

それが善いことか悪いことかはわからない。だけど、何にも影響しない人生なんて生きている(存在している)とは言えない。

だから全力で生きて存在の証を残そうって思う。

ただ大部分の人はここまで考えてはいないと思うし、それでも生きてるってことは、生きることを考えるのは大事だけど重要ではないのかも・・・ね、はぁ。。。