世界にいない

夕方頃、都内行きの満員電車にのった。


今の自分には存在がない。


世界にいない。


どこにいるんだろう、ここにいるのは誰。


こんなに人がいるのに、自分には居場所がないと感じた。


上手く言えないけど、環境が全てだと思ってる。


属さないと意味ない。


属していても、孤独だと意味がない。


お世話になった教授の飲み会があった。


飲み会帰りの今は、院生の自分がいた。


帰路につくとき、また薄くなっていくのを感じる。


困った。


抗いたい。

ひとつの後悔

今までの人生で後悔したことは、数えるくらいしかないと思ってる。


その一つは、高校の選択ミス。


自分の実力を見誤った。合格ラインより80点以上も取っていたのに、滑り止めしか受かっていなかったため、志望を大分低くしてしまった。


高校受験そのものが調査不足だったと思う。



最近また、一つの後悔ができてしまった。


大学院修了直後の3月、お世話になった教授の退職記念式の催しの企画や引っ越し、時間がない中での就活など慌ただしく過ごしていた。


実家に戻りバタバタしたまま4月に突入し、居心地の良くない職場で仕事を覚えるのに必死だった。


そんな中、実家に郵便が届いた。


教授からだ。


この論文の修正をしてください、との内容だった。


正直、もうやりたくなかった。修論前の数ヶ月間は地獄のような日々だった。


卒業したのに、なぜノルマがあるのか。研究室での環境ならいざ知らず、実家で、こんなストレスしかない作業。誰のためにもならない時間に意味を見いだせなくて、修正することを途中で勝手にやめた。


これが5年前。


しかし、つい最近になって生活に余裕ができたことで、色々考える時間で出来た。


当時とは違う見方ができた。


教授は最後の修士卒であるうちら生徒に、最後に論文を投稿させて終わりたかったのではないか…と。


当時は、論文に投稿することに何の意義も持たなかった。自己満足のための論文に、興味がもてなかった。


でもそれは、自分主体の考えであったと今は思う。教授からのプレゼントであり最後のわがままみたいなもので、それが教授のためになるのなら、付き合ってあげればよかったかな…と今なら少し思う。


当時は余裕がなかったから仕方ないかもしれない。でも、その時間に付き合うほどお人好しでもなかった。根は結構ドライだから。




教授に付き合ってあげていれば、という後悔。


途中で投げ出してしまった、責任感は大事にしていたのに、という後悔。


もし、論文が投稿されていれば、自分のファーストオーサーの論文が世に出ているという自信を得られた、という後悔。



今までも、後悔はしないように生きているつもりだった。でも少し甘かった。


結局は自分のため、だ。


でも、もう何事にも後悔しないと誓う。


そのために一生懸命生きよう。


それを気づかせてくれるために必要だったのなら、これは大きな一歩となってくれると信じてる。

4年前の自分へ

ちょうど4年前の記事に、当時の状況へ対して4年後の自分に問いたい。という記事を見つけたので、そのアンサー記事。


一言で言えば、4年前もよくやってたと思う。


大学4年〜院卒業までは、死ぬかと思ったぐらい二度とやりたくない過程だった。それぐらい頑張った。それらを乗り越え、就職した先はレベルの低い人達と衝突して無職。避けられなかったし、よく対処したと思う。


そこからの4年は、人生の質はかなり薄い。けど、悪いところも見つからない。だから善手を選んできたんだと思う。


現在は、仕事に関して前より迷いもない。

一人暮らしもして、精神的にも余裕がある。

恋人の存在もある。共通趣味として、海外が好きで去年はオーストラリア、一昨年はハワイへ旅行している。今年はどうしようかと思ってるのは贅沢な悩みだろう。


はっきり言って、精神面はほぼ何も変わってない。


ずっと腐らずに進んできた結果、今の自分がいるし、これからも同じように進むんだと思う。


要は何が言いたいかって、いつだってよくやってるって言いたい。


運はどうしようも出来ない。ただ、運が良いのか悪いのかは、選択することができる。



ここ最近の好きな名言を載せると、
「運命の女神は準備されたところにやってくる」byパスツール

30代も板につきまして

大分久しぶりの更新になりました。


およそ2年半ぶりかー冨樫先生の気持ちが分かるような分からないようなw


少し読み返してみたけど、客観的に見たら結構酷い内容だと思いました(^^;)


直近の日記は、かなり焦りがあったように感じる。


現在の状況は、2016年春に病院に就職して3年目になる。ストレスもほとんどなく過ごせている。


病院の近くに引っ越して一人暮らし。


2015年11月に彼女が出来て、現在も進行中。一緒に住もうかと話が進んでおり、部屋を探し中。そのためお互いの両親に挨拶にいかないと、と予定している段階。


結局、医療の道へ進みました。


休みも多く給料も良い。仕事内容もかなりいい。おそらく、これ以上の環境の病院はないと思う。


かなり調べたし、努力もしてきた。
その結果ともいえなくない。


しかし、今、これからもう少し努力して、公務員になろうかなと思っている。


32歳の現在。30代も抵抗がなくなってきた。



最近のマイブームは、豆乳系ドリンク。特に豆乳きな粉。



あと、痩せた。約10キロ痩せた。現在59キロ代。


それもあり、健康を少し意識し始めてきた。

自分にとっての幸せとは?

前に、「生きることの理由の一つに幸せのため」と述べている。

幸せとは愉しむこと。

家族といること。友人と遊ぶこと。睡眠をとること。

何事もおそらく過度なものは辛く感じてしまうはずだろう。楽しむってことは適度な刺激を求めてる。今感じている『静』じゃなく『動』だ。それをコントロールして最高の場所にもっていく。それが「生きること」に繋がると思う。


今見ると言いたいことのニュアンスが微妙に違うかw


つまり…適度な安定と刺激。そして好きな人といること。

が絶対条件。自分にとっての。



そしてそれはなにか…。


「好きなことをする」

「好きな人といること」

「ストレスのない生活」


…これ。

結論でたわ。



まとめると、

『好きなことを好きな人と一緒にやり、且つ十分な睡眠や心の余裕を持った生活をすること。』

なるほどwあれだけみんなは全然わかってないと思っていた一般的な世論の幸せに近づいたわww



まず、、、好きなことをやりつつ生活をすることがかなり困難だが…。

さらに、好きな人と…か。これは相当難しいね。知ってた。やっぱりネックは仕事か。それはつまり、幸せの大半は仕事が決めるってこと…か??



一般的には、自分のやりたい仕事をしている人はかなり少ない。

の時点で大きく幸福指数は変わるわな。


そして大半の人は本気で好きな人と結婚してないし、またかなり狭まる。

そして自分の趣味をちゃんと持ったサラリーマンなんて僅か。



ふざけろ。



これが幸せとは呼ばない。やっぱり一般的な幸せに近づいたとか撤回するわ。


おれは、全部やってやる。

オーラ×占い×前世

占いにいってきた。

その方は手相とかは見なくてオーラを専門にしているみたいだった。

大きく「仕事」と「恋愛」の2つに関してを聞いてみた。




まず、全体的なオーラの色は『緑』。エメラルドグリーンに近いらしい。

そしてかなり大きい。

緑は癒しのオーラらしい。直前に現在の仕事「検査技師」を伝えていた。

すると、患者と直接会うこの仕事はとても合っていると言われた。

特に、触れる効果は大きいオーラもありものすごい癒し効果があるそうな。

なるべくしてなんとか導き出してきたのね。という話だった。

転職に関しては、特に話に出てこなかったが他の病院などでもよいのでは。

みたいな感じだった。あと介護士が合っているそうな。




そして少し小さく『銀』があるみたい。

銀があるので少しこだわりがあるみたいだと。…確かにwただそれほど強くもないみたい。


次に恋愛に関して

これは全体のどの程度の比率かはわからないが、『赤』と『青』が半々くらいであるみたい。

どういう解釈かはわからないが、駆け引き的なものが上手く、尽くす方でも尽くされる方でもない、ちょうどいい感じでモテるでしょ。とのことw

結婚はできるらしい!よかったwでもいつかは聞いてない…。
子供の数字が見えたみたいで2人だそうな。

あと遊びなさい…とw
念を押されて言われたのが合コン??に呼ばれて予定か何かで行かない可能性があるので必ず行きなさい…と。顔だけでなく心を見なさい…とな。



一段落して前世はどうする??となったのでお願いしました。

どうやら前世は『漁師』らしい。引き網で魚を採っていたそうな。

場所は東南アジア。詳しく国は不明。

どこか行きたい場所か行きたくない場所は??って聞かれたけど特にない。

相当な苦労人だったみたいで、結婚はしてないみたい。

いや、してたのかしてないのか身分の差があり離れてしまったみたいだ。

苦労人…というフレーズから、あなた苦労されてない??と質問された。

どうやらそれにも理由があるそうな…。この後行ったオラクルカードで判明??した。


ラクルカード。。

タロットカードに似たカードで選ばれた3枚のカードから判断された。

オシリスラクシュミ??、ソロモン王、だったかな。

これらのカードから神からの暗示??が強いという見識だった。(ちょっと曖昧でわかんないけど)

宗教か何かやってる??と質問され、やってないと答えると、前にキリスト教の牧師をやっていたと伝えられた。

また、さきほど質問された苦労されてるでしょ??というのをまた聞かれ、これは神様があなたに与えている試練なのだと伝えられた。

乗り越えられる人に試練を与え、もしほんとに駄目だと思ったときには必ず手が差し伸べられてきているはずだけど、気付いてる??…と。

そのときはあったようななかったような…と返事したけれど、今書いていると思い当たる節が……。


全部がそうなのかもしれないしそうじゃないのかもしれない。
信じるか信じないかは自分次第…か。

安定と夢と29歳

気付くと3ヶ月くらい経ってるなw

まだパートやってる。今月終えたら同じ場所での仕事が半年以上となって過去最長になるw部署は変わってるがw( ̄▽ ̄;)

よく、正社員ならないの?って聞かれる。一度断ったとも言えず…やりたいことがあるって濁してる。

ほんとにあるんだから仕方がない(笑)

パートなのに過去の仕事より給料がいいwこれが本来の資格職が貰うべき代償だと思う。

他の学生より苦労してきたんだから。

そう…これが今の、将来の、年齢的にもキャリア的にも本当に最期の選択だろうと思う。


医療で頑張るか。

映像で頑張るか。


何が邪魔してるって、映像は馬鹿ばっかりだってこと。苦労もせず大した信念もなく3流大学でヘラヘラ青春を惰性で過ごしてきたヒトばっかり。そんなヒトと同じ扱いをされてしまうのが本当に憤る。

それならいっそ、さらに先。

もっと試験が必要な公務員でも目指すか…と。


35年くらい先まで考えてみた。

映像で頑張るなら40歳を過ぎたあたりからが正念場となるだろう。給料もそこまで上がらずスキルも更に向上させるには別の場所にステップアップしなければならない。

関連した違うスキル習得でマルチに活躍するか、フリーになるまたは起業するか。

公務員は65歳までは大丈夫だろう。てかその後も共済とかでなんとか大丈夫だと思う。そこそこ休みもあり、着実に上がる給料。

趣味に費やせる時間も増えるはずだ。

テニスに映画、音楽を本格的にやるとしたらこっちの方が余裕があるかもな。音楽は初めて言ったけど、チェロをやろうと思うw

習い始めて2年くらいは先生の下で練習し、その後近くの楽団へ参加。休日は公演に参加し、ゆくゆくは世界中を駆けるぐらいのアマチュア楽団員になるのが夢の一つ。

話は戻るけど、映像に進んだ場合の夢の一つはハリウッドでの仕事。アメリカと日本ではウケも手法も違うし、かなり厳しいが経験者がいることも事実。こっちはチェロ以上のかなりの運が必要になるなw仕事だしw


安定と不安定。


どうして迷うのか。ただ人生を楽しみたいだけなのに。