ひとつの後悔
今までの人生で後悔したことは、数えるくらいしかないと思ってる。
その一つは、高校の選択ミス。
自分の実力を見誤った。合格ラインより80点以上も取っていたのに、滑り止めしか受かっていなかったため、志望を大分低くしてしまった。
高校受験そのものが調査不足だったと思う。
最近また、一つの後悔ができてしまった。
大学院修了直後の3月、お世話になった教授の退職記念式の催しの企画や引っ越し、時間がない中での就活など慌ただしく過ごしていた。
実家に戻りバタバタしたまま4月に突入し、居心地の良くない職場で仕事を覚えるのに必死だった。
そんな中、実家に郵便が届いた。
教授からだ。
この論文の修正をしてください、との内容だった。
正直、もうやりたくなかった。修論前の数ヶ月間は地獄のような日々だった。
卒業したのに、なぜノルマがあるのか。研究室での環境ならいざ知らず、実家で、こんなストレスしかない作業。誰のためにもならない時間に意味を見いだせなくて、修正することを途中で勝手にやめた。
これが5年前。
しかし、つい最近になって生活に余裕ができたことで、色々考える時間で出来た。
当時とは違う見方ができた。
教授は最後の修士卒であるうちら生徒に、最後に論文を投稿させて終わりたかったのではないか…と。
当時は、論文に投稿することに何の意義も持たなかった。自己満足のための論文に、興味がもてなかった。
でもそれは、自分主体の考えであったと今は思う。教授からのプレゼントであり最後のわがままみたいなもので、それが教授のためになるのなら、付き合ってあげればよかったかな…と今なら少し思う。
当時は余裕がなかったから仕方ないかもしれない。でも、その時間に付き合うほどお人好しでもなかった。根は結構ドライだから。
教授に付き合ってあげていれば、という後悔。
途中で投げ出してしまった、責任感は大事にしていたのに、という後悔。
もし、論文が投稿されていれば、自分のファーストオーサーの論文が世に出ているという自信を得られた、という後悔。
今までも、後悔はしないように生きているつもりだった。でも少し甘かった。
結局は自分のため、だ。
でも、もう何事にも後悔しないと誓う。
そのために一生懸命生きよう。
それを気づかせてくれるために必要だったのなら、これは大きな一歩となってくれると信じてる。